西安観光ガイド|西安現地ツアー|西安現地旅行会社|敦煌旅行シルクロードツアー|蘭州発張掖丹霞ツアー



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[93] 西安 現地ツアー

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月18日(月)14時36分0秒 171.217.80.110  通報   返信・引用

咸陽市旅行観光ガイド

中国陝西(せんせい)省、渭水(いすい)北岸にある工業都市。紡績工業が盛ん。秦(しん)代の首都。人口、行政区95万(2000)。シエンヤン。中国,陝西省中央部,西安北西方の都市。渭水(いすい)北岸に臨み,秦の都で,始皇帝の阿房宮の故地として知られる。隴海(ろうかい)鉄路に沿う。付近は肥沃な灌漑(かんがい)耕地で,綿花?麦類の産が多く,これら農産物の集散地をなす。

咸陽市(かんようし)は、中華人民共和国陝西省に位置する地級市。かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山と丘と阜などの南側、河と江と川と湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、渭水の北に当たり「咸(みな)陽」なためにこの名前がついた。前352年に孝公が咸陽城を造り、都をここに移した。その後、始皇帝により阿房宮造営の大規模な工事が行われ当時としては稀な巨大都市になっていった。始皇帝死後も工事は続けられたが、二世皇帝胡亥?三世子嬰の代になっても阿房宮は未完成のままであった。紀元前206年に阿房宮は項羽により焼き払われたというのが、現代までの定説であったが、2003年に焼き払われてはいないと言う説も登場した。ちなみに、その後楚漢戦争に勝利した劉邦により、渭水を渡って咸陽南郊の長安を前漢王朝が築城し首都に定め、長安が繁栄していった。

戦国時代の前350‐前207年の秦の都。現在の陝西省咸陽市の北東約10kmの窯店公社にある。城壁は一部を除き明確でないが,渭河をまたいでほぼ15km四方の範囲と推定されている。城内の北方高地は宮殿区で東西に多数の宮殿基址がある。そのうち1号と3号の両宮殿址が調査された。1号宮殿址は1974‐75年の調査で,牛羊村北方高地上にあり,中間に牛羊溝をはさんで東西に対称に回廊で連なり,両側におのおの東西68m,南北45mの2層の版築土台を心とした木造瓦葺の3層の殿閣であったことがわかった。戦国時代、現在の市街の東方に秦(しん)の孝公(在位前361~前338)が初めて都城を築いて以来、秦の国都として繁栄した。とくに始皇帝は天下を統一する(前221)と、全国の富豪12万戸をここに移住させ、また自分が破った諸侯の宮殿を模倣した宮殿をここに建造して、諸侯の妻妾(さいしょう)たちを住まわせたので、宮殿の数は270に上ったという。さらに始皇帝は、渭河の南岸にも阿房宮(あぼうきゅう)を造営し、閣道(かくどう)を渭河に渡して咸陽の宮殿と連絡させようとしたが、秦が滅びると、咸陽の宮殿、阿房宮ともに項羽(こうう)によって焼き払われた。このとき阿房宮は3か月間にわたり燃え続けたという。現在の市街は明(みん)代からのもので、紡績工業を中心とした新興工業都市となっている。

始皇帝より、天下統一によりこれを全域に及ぼしたのである。民間から武器を没収して国都の咸陽に集め,鐘鐻などの楽器や金人を鋳造して宮廷に並べ,また地方都市の城郭を取り除かせた。度量衡を統一して基準の量器を全国に配布し,車軌を一定し,標準となるべき文字(篆書(てんしよ))や貨幣(半両銭)を制定した。
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[92] 西安 ツアー 格安

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月14日(木)12時02分32秒 171.213.43.44  通報   返信・引用

延安市(えんあんし)は、中華人民共和国陝西省に位置する地級市です。中国の陝西省北部の都市。西安の北方約250キロの地点にあります。1935年10月に長征を終えて陝西省の呉起鎮に入った毛沢東の率いる中国共産党は、1937年に拠点をこの地に移し、1947年まで本拠として、国民党軍、日本軍と戦った。現在では中国共産党の「聖地」の一つとなっています。1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、この期間中に毛沢東の党内主導権が確立したことから、中国革命の聖地とされます。延安は陝西省の北部の黄土高原地帯に位置し、現在の気候は大陸性気候で四季ははっきりとしているものの乾燥しています。黄河本流最大級の滝、壷口瀑布があります。

秦による統一後も、咸陽あるいは長安の北辺の防衛拠点として重要な位置にあり、引き続き高奴県が設置されています。漢代にも引き続き高奴県は設置されており、漢書地理誌には『高奴県有洧水、肥可燃』とあります。これが中国の史書における石油の記述の初出であるとされます。その後、6世紀に西魏により延州が設置され、これ以降は高奴県の名称は消えます。隋代に延州は延安と改称され県から郡に昇格しました。これより後、この地は延安と呼ばれることになります。明朝は延安府を設置、明末には農民反乱の拠点となり高迎祥、李自成、張献忠などが延安地区を拠点に反明活動を行いました。清朝は明朝の制度を踏襲、延安府の下に3州(富州、綏徳州、葭州)、16県(膚施、安塞、甘泉、安定、保安、宜川、延川、延長、清澗、洛川、中部、宜君、米脂、呉堡、神木、府谷)を管轄しました。雍正年間になると三州は直隷州に昇格、延安府の管轄は8県(膚施、安塞、甘泉、安定、保安、宜川、延川、延長)。とされ、乾隆年間に定辺県及び靖辺の2県がその管轄とされました。清代の事跡としては同治年間に張宗禹による農民反乱が発生、左宗棠により鎮圧された事件、清末に延長石油官廠を設置し、中国における初めての油田開発が行われています。1913年、市域には陝西省楡林道が設置されました。1928年に道制が廃止されると各県は省直轄とされましたが、1935年9月に行政督察区制度が施行されると北部は第2、南部は第3行政督察区の管轄区とされました。長征の最終目的地となった呉起鎮(1935年10月到達)から保安を経て、1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、毛沢東が延安の窰洞を拠点に抗日戦線の指揮を行いました。また、『新民主主義論』『持久戦論』『文芸講話』『連合政府論』など、毛沢東の主要著作とされる論文執筆をおこなりました。これらの事跡によって革命の聖地とされています。1942年1月には行政督察専署が設置され延安市(1949年改称延安県)、富県、甘泉県、志丹県、安塞県、子長県、延川県、延長県、固臨県の1市8県を管轄しました。1949年5月、陝北行政区を設置、楡林、三辺、綏徳、黄竜の4分区及び延安、延長、延川、子長、安塞、志丹、甘泉の直轄県を統括しました。

延安は、かの有名な中国共産党が国民党との対立の最中、一時的ながら拠点を置いていた街であり、近代中国の歴史において、その名は欠かせないものとなっています。また、かの有名な毛沢東が中国共産党を率いるようになり、多数の論文を記したのもこの街です。そうした経緯から中国共産党の聖地として知られる延安の、革命の歴史や、現在の中国のルーツを辿れる観光スポットをご紹介します。唐の時代に都が置かれた長安(西安)から北にある街「延安」。周囲は山に囲まれ、川に沿って街が形成されています。中国国共内戦(国民党と共産党の対立)で毛沢東率いる共産党指導者が一時、本拠地とした場所が延安です。延安はその共産党の革命の起点となった場所といわれ、中国近代史において必ず登場する重要な場所の一つです。そのため中国共産党の聖地ということで観光に訪れる方もいます。現在も続く「中国共産党」のルーツを探るのにはぴったりの観光スポット延安。革命の始まりとなった観光地を中心に紹介していきます。
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[91] 西安 兵馬俑 現地 ツアー

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月13日(水)12時50分12秒 171.217.115.96  通報   返信・引用

昔、西安は長安と呼ばれていた。長安は黄河文明の発祥地の一つで、アテネ、ローマ、カイロと並び、世界四大古都と称される。西安は中国で最も早く建設された、最も長い歴史を持つ古都で、現在までに3000年余りの歴史を持つ。紀元前11世紀より、秦(紀元前221-206年)、漢(紀元前206-後220年)、唐(618-907年)といった中国史上最も繁栄した王朝を含む13王朝が西安に都を置いた。東洋と西洋の文明交流を促進するシルクロードも、西安から西に向かい延びていった。悠久な歴史は貴重かつ豊富な遺跡を残した。西安には中国で最も保存状態の良い城壁と、仏教名塔の大雁塔がある。また周(紀元前1046-256年)、秦、漢、唐の四大遺跡、3ヶ所の国家森林公園、その他の観光名所がある。保存する各種文化財は12万点余りに達し、国内外でも珍しい貴重な品々を保存している。西安は、兵馬俑や青銅器の模造品、唐三彩、関中切り絵などのおみやげ品が豊富だ。独特な西安グルメも人気が高い。陝西省域内に散在している72の歴代の帝王陵墓は、当時の社会の経済や文化を再現するための証拠となっている。黄帝陵、兵馬 、法門寺、西安碑林、陝西歴史博物館、西安古城壁など「十大観光スポット」は、いずれも「中国の最たるもの」と称される。秦の始皇帝陵と「世界第八大奇跡」と称される兵馬 はユネスコによって世界文化遺産リストに登録されている。

歴史的な文化財が豊富な陝西省は、その土地ならではの重厚な歴史を感じさせるが、名山と大河の数々も魅力の一つだ。パンダ、ゴールデンモンキー(キンシコウ)等の希少な野生動物が生息する秦嶺山脈の中部、その険しさで名を馳せる華山、中華民族の母なる大河・黄河が陝西省に位置し、壺口瀑布などの美しい景観を生み出している。陝西省では、伝統劇の秦腔、人形劇の木偶劇、影絵芝居の皮影劇、陝西北部のヤンコ踊り、農民画、切り絵、泥人形などの民間芸術を楽しめ、羊肉泡モー(食+莫)などの独特なご当地グルメを楽しめる。
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[90] 陜西省旅行観光ガイド

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月12日(火)11時10分44秒 171.213.43.14  通報   返信・引用

陝西省は、略称は秦、または三秦。古代中国の長安一帯を含む地域。省内には黄河が流れ、中国のほぼ中央に位置し、黄土高原が広がる。北部は内蒙古自治区と接し、砂漠である。東部は、山西省と河南省、西部は寧夏回族自治区と甘粛省、南部は四川省?重慶市、東南部は湖北省と接している。南部を秦嶺山脈が東西に走る。北部の冬は乾燥し寒く、夏は非常に暑い。南部は雨がより多い。陝西省は中国内陸部の中央、黄河の中流に位置し、総面積が約21万平方キロメートル、人口が3739万人に達する。省内の夏は暑く冬は寒く、四季がはっきりとしている。年間平均気温は7-16℃で、旅行シーズンは3-11月。

陜西省の域内には、山間地帯もあり、平原もあり、地形が複雑である。南北が高く、中央部が低いのはその基本的な特徴。北から南へと、三つの特色ある自然区域が形づくられ、北部は陜西北部黄土高原で、中央部は「八百里秦川」と称されてきた関中平原、南部は秦巴山区である。陜西省北部の黄土高原は標高800~1300メートル、総面積の約45%を占める。省都西安は北西地区でも最も工業の発達した都市である。西安は陝西省の省都で、総面積が9983平方キロメートル、人口が753万人に達する、中国西北地区最大の都市である。西安、延安、楡林、安康、漢中のいずれにも空港があり、西安咸陽国際空港が西北地区最大の空港である。早くも2000年以上昔に、中国から始まるシルクロードは中国と中央アジア、南アジア、西アジア、そしてさらに遠くのアフリカ、欧州などの国々を結びつけ、沿線諸国の文化交流、貿易往来の重要な街道となった。

陝西は西周(紀元前1046-771年)時代初期にその名がつけられた。春秋戦国時代は秦に統治されていたため、略称は「秦」。後世の人々は陝西北部、関中、陝西南部をまとめて、「三秦」と呼んだ。秦の都ー咸陽、前漢と唐の都長安が有った地であり、シルクロードの起点とされることもある(シルクロード:長安-天山回廊の交易路網)。北部の延安は中国革命の聖地として名高い。 呉旗は、長征の終了宣言が出された街である。省中部にある西安は、旧時長安と呼ばれ、漢や唐など古代王朝の都であった。中国六大古都の一つで、「兵馬俑坑[へいばようこう]」や「碑林」などの旧跡が多い。市内には黄河などの河がある。秦の始皇帝陵、兵馬俑、黄帝陵など72の歴代の帝王陵墓が省内に散在している。法門寺、西安碑林、陝西歴史博物館、西安古城壁など歴史的観光スポットが多い。また、延安は中国革命ゆかりの地で、鳳凰山革命旧址を始めとする革命旧址が多い。
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[89] 西安 ツアー 格安

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月 8日(金)13時51分47秒 171.217.115.3  通報   返信・引用

西安水陸庵観光案内
水陸庵は西安の東南50キロの秦嶺の麓にあり、無類の美しさを持ち多種多彩な塑像を所蔵する。 水陸庵は東向きに立てられ、山門内には前殿、中殿、大雄宝殿とその他の建築があり、殆どが明清のものである。この水陸庵は唐代あるいはその前の南北朝時期に創立されたものと見られるが、当時の地上建築は跡形もない。今に残る配置は明の時代のものである。

水陸庵の彩色塑像はきらびやかな上に壮観で、大殿内の南と北の2つの高い壁、殿内正面の仕切りの間の西壁と両側の軒つきの壁の4つの部分からなる。その中で、南北2つの壁の塑像群の面積が最も大きく、精彩を放っている。これらの壁にほどこされた塑像群は連続物語のごとき形式で配置され、南側から北側へと上下に並べて釈迦牟尼の略伝が紹介されている。人物としては多くの仏と菩薩、飛天と供養者があり、鳥獣としては竜、鳳凰、獅子、象、牛、麒麟などが見られ、景観としては庭園、山河、楼閣や他の家屋などがある。人物像の外観と表情はそれぞれ真に迫り、いずれも個性がはっきり現れている。これらの壁にほどこされた塑像群は非常に多くの内容を含み、塑像の数も簡単に数えることができないほど多い。
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[88] 西安香積寺観光案内

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月 7日(木)11時45分41秒 171.217.114.250  通報   返信・引用

香積寺は西安市の南の長安県郭杜郷香積寺村にあり、西安から17.5キロメートルの距離にある。寺は唐の神龍二年(西暦706年)を建てられ、 浄土宗二世の善導法師の他界した時の衣鉢を弟子たちが祭ったるために造営した。寺は神禾原の西にあり、ここが浄土宗の発祥地だと見なされる。周囲の風景は美しく、落着いていて、静かな場所である。もとの香積寺正殿はとっくに崩れ落ちているが、現在2つの古塔をわずかに残し、東西に対峙する。西方は唐代に建築された善導法師の仏舎利塔で、正方形で木を密に組んで作られ、現在の塔は8層、高さ33メートル。塔の周りには精巧に彫られた石仏があり、楷書で《金剛経》と刻まれている。東方の塔は善導法師の弟子たちが身を清めた塔で、青いれんがでできている。

日本の浄土宗信者は善導法師を尊敬し、寺院建造の寄付を行った。今、境内には善導法師像、仏像、供卓、木魚、灯籠などがあり、これらはここから日本に伝わったものである。1980年5月、善導法師1300周年に、日本から200人の代表団がこの地に来て、厳かに法会を行った。ここはすでに仏教の聖地として国内外から多くの観光客が集まってくる。
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[87] 西安唐昭陵観光案内

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月 6日(水)18時38分10秒 171.217.115.236  通報   返信・引用

唐昭陵(李世民墓)
陝西関中“唐十八陵”の中には規模最大な陵墓で、唐の第二代皇帝李世民の陵墓。陝西省礼泉県の東北より22.5キロ離れる九嵕山にある。西安より70キロ、咸陽より30キロ、咸陽国際空港より25キロ、離れている。1961年国務院に全国重点文化財保護単位に指定された。陵墓の周囲60キロ、敷地200平方着ろ、主君の墓の以外には姫や近臣を葬って墓の総数は180にも達し、“天下名陵”と称えられる。世界最大的皇家陵園である。

昭陵博物館
昭陵は陝西省西安市の北方に点在する唐の十八陵の一つで、唐の太宗李世民(599年 - 649年)の陵墓である。昭陵は当時の都長安から80キロくらい離れた九峻山の頂上に造ったものである。昭陵博物館は1979年竣工された。全国重点文物保護単位に指定されている。昭陵の地上に見られるのは、玄武門の一部と摩滅した石碑の一部だけである。太宗遺愛の名馬の像を板石に刻ませたという「昭陵六駿」が有名である。太宗が隋末の戦乱の際に乗馬していた馬を石に浮彫したもので、「白蹄烏」、「特勒驃」、「颯露紫」、「青騅」、「什伐赤」、「拳毛カ」という名で知られる。
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[86] 西安窯洞観光案内

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月 5日(火)12時03分59秒 171.217.80.88  通報   返信・引用

黄河の中流に位置し、黄土高原の丘陵にある延安地区では、町あるいは村のどこであっても、今もなおほとんどの人が窯洞で日々の生活を送っている。最も原始的な窯洞を本当に理解したいと思うなら、そこに数日でも暮らしてみることだろう。ずいぶんと遠い昔、はるか遠い北方から黄土が風に乗って西北高原まで運ばれ、一日また一日と、そして一年また一年と繰り返されるなか、陝西省北部の地にとてつもなく広く、また土層の厚い黄土地帯が形成されていった。窯洞がこの土地に出現したのは、人が住むようになってすぐのことだ。窯洞はまさに黄帝の子孫が繁栄し、生活し、燦爛と輝く文化を創造したところである。

窯洞の形態は多種多様である。町では石やレンガ製が多いが、農村では多くが土洞あるいは石材を組み合わせた洞だ。陝西省北部で最も典型的なのが、山を利用した窯洞。天然の土壁を切り開いて造ったもので、普通、洞の幾つかは互いにつながっていて、また上下に幾層も並ぶ窯洞もある。泥や土が落ちるのを防ぐために洞内にレンガや石を敷き詰めたり、崖面を保護するために洞外にレンガ壁を設けたりしている。

人間の住まいはその土地の地形や風土、気候に適するように造られてきたが、黄土高原の窯洞はまさにその典型だ。断崖に穿たれた洞窟はまさに天然の地形そのもの。冬暖かく、夏涼しく、生活に非常に適している。新石器時代、黄河中流の氏族は黄土層を壁にした土穴で部落生活を営んでいた。木の枠や草を混ぜた泥で造った簡素な住まいで、次第に集落が形成されていった。

窯洞で最も手の凝った、最も美しい部分は恐らく窓だろう。アーチ型の入り口には木の格子が様々な秀麗な文様を織り成している。黄土高原という色彩の単調な世界を飾ろうと、住む人々が窓の形に合わせて貼っているのが切り紙だ。窓は唯一の光源。窓の外に貼られた切り紙は外から見ると色鮮やかだが、なかで見ると明るく落ち着いた雰囲気を醸し出している。光と色がうまくマッチした芸術の美、とでも言える。
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[85] 西安漢陽陵観光

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月 3日(日)10時46分40秒 182.138.196.59  通報   返信・引用

西安漢陽陵観光案内

漢陽陵博物館
西安市街より空港へ向かう途中にある博物館で、前漢6代皇帝の景帝とその皇后の陵墓を葬った合葬墓である陽陵を中心に作られた博物館です。 陽陵で出土した、武士や女官などの陶製俑は、この博物館の必見です。

陝西省咸陽市渭城区正陽鎮張家湾に位置しています。公元前153年設立され、公元前126年竣工し、28年もかかった、敷地面積20平方キロ。今の漢陽陵博物館は中国敷地面積最大な博物館になります。漢陽陵は西漢王朝の四代目の皇帝である景帝・劉啓と皇後王氏の陵園です。1980年以降、漢陽陵の周辺に大規模な考古発掘により、たくさんの彩陶俑や金器、青銅器が出土されました。

漢陽陵文物展室
漢陽陵文物展室は漢陽陵にあり、大型の地下博物館である。漢景帝劉启(前188-前141)は文帝の子で母は竇皇后。前157年、32歳のときに皇帝となった。16年間在位し、前141年に未央宮で亡くなると陽陵に葬られた。
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[84] 西安旅行

投稿者: xianguide 投稿日:2018年 6月 1日(金)15時32分26秒 171.217.115.18  通報   返信・引用

西安高家大院観光案内
高家大院とは、歴史人物或いは有名人の旧居を指します。中国では数ヵ所あり、西安には2か所あります。一つは北院門144号にある高岳崧先生の旧居で、もう一つは興隆巷42号にある高培支先生の旧居です。
北院門144号
高岳崧先生の旧居は北院門144号にあり、西安市中心部の鍾楼の西側、鼓楼回坊文化風情街に位置します。この民家は4つの中庭を持つレンガ?木で造られた四合院です。主体の建築は明の崇禎年間(1610~1644)に建てられ、400余年の歴史を持っています。現在は西安中国画学院など4つの部門の事務室です。敷地面積は2797㎡あり、総面積は2517㎡です。部屋数は87室で、その中の57室が公開されています。
ここでは西安の歴史と文化の雰囲気が溢れています。院内には明と清の時代の建築芸術、古家具、伝統的な対聯、磚彫(煉瓦に彫刻したもの)芸術、茶店、民間の切り紙、影絵芝居、箏の上演、名人書画、中国画の逸品、古写真、陶磁器および陝西省の特色が溢れる観光記念品などが揃っています。民家は2002年、国連教育科学文化機関から「アジア太平洋地区の文化遺産保護賞」を受賞しました。 2003年、西安中国画学院芸術学部により、旧居の歴史上最大の修繕と拡張工事が行われました。ここはまた西安建築科技大学建築学部大学院生の教育基地、長安大学歴史文化名域研究所の研究基地とされます。
西安興隆巷42号
西安興隆巷42号にある高家大院は、清の時代の半ばに建てられ、有名な脚本家、教育家である高培支先生の旧居です。この民家は古風で素朴な、伝統的な民家建築スタオルが残されていて、百年を経たにもかかわらず、もとの様式がそのまま保存されています。
高家大院は南向きの建物です。南北の長さは50メートル、東西の幅は12メートルです。この民家には3つの中庭があり、母屋、廂房(母屋の両側の棟)、通り抜ける部屋などが全部揃っています。院内両側の廂房が「半部分しか建てない」(もともとは人字の部屋ですが、半部分しか建てない)という典型的な陝西省民家の特色を持っています。通り抜ける部屋は、前後と東西が対称の出檐式(屋根が出る様式)のものです。二階建ての母屋も出檐式です。
表門は生ウルシ塗りの木造りで、その側に「栓馬柱」(農家などの中庭で、馬、牛などをつなぐための石彫りの杭)が立っています。門の前に、土台2つがあり、そこに麒麟、蝙蝠、梅の花、鹿などの、おめでたい動物が彫刻されています。通り抜ける部屋の門には、牡丹、梅の花、名刀などが刻んであります。一方、母屋の門の上には「梅、蘭、竹、菊」が刻まれています。
部屋の上にある虎の頭の瓦当(軒瓦の先端の模様や文字が刻まれている部分)、門と窓の彫刻、とりわけ二回目の門とその脇門のレンガ彫刻は更に上品です。花、鳥、竹、樹木のほかに、「平為福」「蒼天」などの字が空中に浮いているように見え、大院全体が古風な雰囲気で充ち溢れています。これらの彫刻が、典型的な地方建築の装飾スタイルを持つことは疑いないです。部屋の構造から室内の家具などの装飾品まで、すべてがそのままに保存されているケースは、西安でも稀です。
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